夏をいかがお過ごしでしょうか?
夏を制するものは受験を制す
なんて受験生のころよく言われたものですね。
でも実際夏を過ぎるとあっというまに日が過ぎていきますから
どんな立場の人であっても、夏はだいじな時間です。
この8月は雨の日が多かったので
学生のころからの趣味というか
ライフワークにせっせと集中しています。
受験時代と同じ1日10時間を越す勉強も私はいまだへっちゃらです♪
時のたつのも身も心も忘れて 打ちこめるものがあり、
損得だとか結果などと一切かかわりなく、
ただその世界に “成り切る” というPUREな時間
深い充足感があります。
みなさんはどんなことに情熱をもっていますか?
さて、先日枕草子を読んでいて
ここがやっぱり好きだわ・・と思いました。
ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。
人の齢(よはひ)。
春、夏、秋、冬。
ただもうどんどん過ぎていくもの。
舟のあとに「よわい」と来て ハッとさせられたかと思うと
春、夏、秋、冬・・・と畳みかける美しさ。
数々の風景が浮かんでは消え
しんしんとなつかしい楽の音を聞くように
余韻を長ーくひく この242段がとても好きです。
人生をたいせつに生きよう、
時間はかけがえのないものだわ・・・と思わせてくれます。
そして夏といえば蝉。
みーんみんみんみん
と、こちらでは毎日ミンミンゼミが元気です。
わたしは子どものころ関東を離れ、アブラゼミばかり鳴く地に住んだことがあって、
あれはちょっと暑苦しいんです。
ミンミンゼミの声を聞くとああ帰ってきた-♪と感じたもので
いまだにこの蝉が可愛く都会的な気がして好きです
で、小さいころはよく蝉取りに出かけました。
でも我が家の決まりで、蝉を虫かごに入れるのは、いいとこ数分。
家路に向かう前にかならず空へ放って返してしまったものでした。
なぜなら 蝉の命は短いから。
地中で7年もの時を過ごし、やっと地上の空気を吸う日々を
存分に謳歌させてあげようと。
親に言われて当時はしぶしぶ納得させられたものでした。
が、いま思い出すと全くその通りで
そうしてあげてよかった・・と微笑ましく思い出されます。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。
飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
命あるものといって、人間ほど長く生きられるものもない。
かげろうは一日で命を終え
夏の蝉は、春も秋も知らず死んでしまう。
その儚さと比べたら、人生はたった一年でも
この上なく豊かなものではないか・・・
それに満足せずにいたら、たとえ千年生きたとしても一夜の夢のようなもの。
徒然草七段にある兼好さんの文章も、人生の質というものを再考させてくれます。
あなたの一瞬一瞬はどうですか、
ちゃんと光っていますかと・・・。
ここを読むと蝉の声も ひときわ濃く感じられます。
さてふたたび枕草子に戻って 最後にこの一段を
ころは、正月。三月、四月、五月。七、八、九月。十一、二月。
すべて折りにつけつつ、一年ながらをかし。 (第二段「ころは」)
時節は正月。三月、四月、五月。七、八、九月。十一、十二月。
すべて、折につけて、一年中素敵♪
一年それぞれ わたしの好きな月☆ってところでしょうね。
人生は美しい、
たとえどんな時だって。
どの季節も捨てがたい。
そう いつだって「をかし」なのです