☆美と精神をふかめる☆

 

秋は魅力的な展覧会が多いもの

先日トーハクの “ 「禅」心をかたちに ” を観にいきましたが、

まるで遊園地のアトラクションみたいな

おもしろさがありました。

近年わたしに大切なことを教えてくれた禅へ

感謝をこめてじっくり味わいたいと思います

 

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今回の展覧会は禅といっても臨済宗と黄檗宗にスポットをあてたもの。

なかでも臨済禅はアートと関わりが深いですね。

臨済宗といえばまずは鎌倉ですが、

ふだん建長寺や円覚寺へ出かけてもけっしてお目にかかれない

至宝は多く、そんなお宝にじかにふれることができました。

 

まず建長寺の開山 蘭渓道隆の坐像。

水晶の瞳がぎらりと光る鋭い姿に背筋がのびます!

この高僧は日本に禅を根付かせた厳格な人という印象がありますが

坐像も威厳たっぷり。

さらに、この禅師の崇高さは筆跡にも表れていました。

わたしは人柄のにじみ出る書を見るのが好きなんです。

蘭渓道隆の筆によるお経はステキでした!

やさしい字をお書きになって。

端正な中にも楚々としたふくよかさがあり優美です

 

書といえば、天皇の書は上手い下手にかかわらずみな美しいと聞いたことがあります。

南禅寺に伝わる亀山天皇の宸翰もたいへん美しいものでした。

こうした書をみていると、筆や鉛筆で字を書くことの大切さを感じますね。

私は日記や手紙は手書きするようにしているのですが、

というのもパソコンの入力はローマ字の変換だからです。

いわば記号のようなもの。

生活すべてがそんな調子では魂の大事な部分が欠けてしまいそうで。

 

仏像も全国各地から集合していました。

仏様を博物館に持ってくることは心苦しい面もありますが

光の当て方やミュージアム独特の神秘空間に浮かびあがる仏像ってホント美しい

 

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こんなふうにシルエットが繊細に影を落とす姿なんて

お寺では味わえませんから!

 

展覧会場後半は禅から広がった水墨画、障壁画、茶の湯のお道具類など

豪華絢爛

あの油滴天目茶碗とか新田とか。

信長や秀吉や家康伝来の、一国一城より価値をもった名品を間近に見られます。

 

トーハクのお勉強系の展覧会ってほんとうにボリュームがあるので

隈なくじっくり見ていたら3時間くらいかかってしまいそう・・・

 

でもインドから達磨が中国にわたり、それが鎌倉時代に日本にわたって

室町、戦国・・・と次第に深められ、さまざまに展開していって、

今これほどまでに豊かな美と精神の広がりをみせている。

さらにまだまだ未来へとつながっていく。

こんな歴史をぱーっと俯瞰して見て歩くと、人間の営みがとても愛しく感じられて

心があたたか~く広がっていきます。

 

わが国においては禅が果たした役割はあまりに大きく、

大陸から伝来してこの島国でここまで熟成した文化を、

今後はわが国から世界へむけて発信していくべきものと思いました。

 

長谷川等伯の襖絵に禅問答をテーマにしたものがありました。

「南泉斬猫」

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この故事なんて、たぶん20代のころではぜったいわからなかった。

このトシになって東洋思想が持つ無内容の世界にとても惹かれます。

 

日本は明治以降、必死になって西洋の進んだ文化を取り入れてきました。

西洋と東洋。

それぞれに優れた面があると思います。

が、こと思想面においては、東洋は西洋よりはるかに成熟した哲学を

持っているのではないかと思います。

そして明治以降、日本は逆にそれを捨ててしまいました。

現代人の病の一つは内容ばかり求めてしまうことだと言われます。

このお話の答えはなんなのか?

どんな意味があるのか?

そんなふうに考えること自体無意味のものがこの世にはたくさんあるのに

どうにかして探そうとしてしまう・・・

でも人生経験を重ね、世の中を見つめる眼が深まってくると、

こうした話こそ、宇宙を表しきっていると思えるようになる。

日本の古い物語だって、同じような心模様を与えてくれます。

特に文学的価値が低いとされてきた説話集など

学会でも重視されていないかもしれませんが

ものすごい真実を教えてくれる・・・!と私は感じています。

 

言葉ではわりきれない世界を見知って

心をわちゃわちゃさせる。

これって、すごく大事なこと

そんなわちゃわちゃした気持ちを味わいにぜひトーハクへいかれてみてください