☆TRUE LOVE☆

 

シリーズ源氏物語de女磨き

 

七夕の今日は、実際にあった純愛のお話をしてみましょう

源氏物語はたくさんの恋で彩られています。

「恋」というのは、もともと「恋う」という言葉から来ていて、

目の前にないものを「恋う」のです。

では、愛はどうでしょう?

愛は相手の全人格を愛すること。

無くならないもの 深まっていくもので、

終わるくらいのものなんて愛ではない、

とわたしには思えるのですが、どうでしょうか。

 

平安時代、そのあふれる愛でひとりの女性を思いつづけた帝がいました。

彼の名は一条天皇。

枕草子や源氏物語が書かれたのはこの一条天皇の御世でした。

たくさんの后妃が並び立つ煌びやかな後宮。

そのなかで彼はただ一人の女性を愛し続けました。

藤原定子という后です。

定子は時の最高権力者、藤原道隆の娘でした。

 

帝のもとに嫁いだ時、この世の栄華のすべてが彼女の手中にありました。

華やかな家風の中関白家のお姫さま。

父親からは貴種と美貌と朗らかな性格を、

母親からは抜群の才気と庶民性をうけついで、

非の打ちどころのない魅力的な女の子となっていました。

彼女がはじめて宮中に上がった時に、おそらく帝は一瞬で魅了されてしまったのかもしれません。

 

定子がもたらした、明るく和やかで知的な刺激にみちた家庭の雰囲気は、

肉親との縁の薄い幼少期をすごした少年一条に

かぎりない愉しさと安らぎを与えてくれたようです。

 

しかし、この理想のカップルの幸福は長くは続きませんでした。

父親が急死したときから定子の実家はつぎつぎと恐ろしいほど不運にみまわれ、

ついには自ら自分の長い髪を切り落として出家してしまうのです。

それによって一条天皇との夫婦関係も当然のことながら終焉と、世間は考えました。

 

しかし・・・・・

天皇はこのプリンセスをどうしても忘れることが出来なかったのです。

王朝の後宮において、没落貴族の后など、もはや無用でした。

しかも定子は髪をおろして尼になったとされています。

それでも天皇は彼女を宮中に呼び戻すのです。

これは大スキャンダルでした。貴族社会の反発の中、ふたりは

しずかに愛を育み続けます。

 

定子はつぎつぎと御子を産みますが、心労がたたったのでしょうか、

第三子出産の直後、若くしてこの世を去ります。

帝は亡くなったあとも彼女への想いを切ることができませんでした。

あの藤原道長が貴族の筆頭となって台頭し、娘の彰子を入内させますが、

天皇は彰子を大事にはしますが 心は隔てていました。

おそらく亡くなる直前までずっと、定子を愛し続けた一生だったのです。

 

2504s-

 

一時は一世を風靡し、貴族社会の華であった定子の 天から地への零落ぶり。

そして一条との激しい恋愛模様は、当時の貴族たちの心を大きく揺さぶったそうです。

紫式部もその一人だったといわれています。

源氏物語の桐壺の更衣は定子がモデルという説があります。

物語のなかの更衣は天皇の寵愛を一身に集めますが、

弱々しく、どこかぼんやりした印象です。

が、桐壺更衣が残しているこの歌にはドキっとさせられました。

かぎりとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり

私はこの歌を読んだとき、ぞくっとしました。

これは定子だ・・・と。

定子の魂がいまここに甦って詠んでいるではないか!と。

それほど定子の辞世の歌と似通っているのです。

 

本来、天皇という地位にある人には自由な恋愛は許されません。

一条天皇は誠実で優秀な天皇として歴史上であがめられていますが、

彼は唯一定子を愛する点においてわがままを通しました。

どんな尊貴な方であっても、人の心というのは熱いものであり、

その熱い想いが紫式部の胸にも痛いほど伝わってきて源氏物語が書き始められた・・・

源氏物語はけっして恋愛だけが主題ではありませんが。

 

ところでこの悲劇の皇后といわれる定子は果たして不幸なだけの人生だったのでしょうか?

みなさまはどう思われますか?

定子、そしてその后を称賛しつづけた清少納言。

彰子、そしてその后を敬愛しつづけた紫式部。

そしてふたりの后の夫、一条天皇。

それをとりまく貴族たち。

はるかな時をこえ今なお輝きつづける枕草子と源氏物語・・・・。

歴史というのはやはり巨匠と呼ぶにふさわしい必然を見せるものと思わずにいられません。

式部が描き出した真実の愛の形については、

今後私なりに突きつめてみたいと思っています