源氏物語de女磨き
いま夜になると外は虫たちの合奏がにぎやかで
鈴を振ったような音色がなかなか優雅ですね
秋は夜長がお楽しみ。お月見などもステキです。
古典の世界の人々は、現代人よりもずっと月をながめています。
源氏物語ではこのシーンが好き。
月をかしきほどに霧りわたれるをながめて、簾を短かく巻きあげて人びとゐたり。
宇治十帖ヒロイン。宇治八宮家の姉妹が琵琶と琴を合奏している場面。
霧たちこめる月光のもと、簾を巻きあげて華やかに登場したのは
世にも美しい二人の姫君でした。
まず、琵琶を演奏していた妹の中の君が、月が雲間から顔を出したのを見あげて
姉に話しかけます。
「 扇ならで、これしても月は招きつべかりけり 」
( 扇でなくても撥でも月を招くことができるんですわ )
その顔はいみじうらうたげに匂ひやか。つまりたいそう可愛らしく艶やかでした。
それをうけた姉君はこう答えます。
「 入る日を返す撥こそありけれ。さま異にも思ひ及びたまふ御心かな 」
( 入る日をかえす撥というのはあるそうですけれど、それはかわったおっしゃりようね )
間違いをやさしく指摘する姉の大君は、妹より重々しく深みのある美しさです。
すかさず中の君は、
「 あら 琵琶の撥だってお月様に縁がありましてよ ♪ 」
と返す。
琵琶の撥をおさめるところを隠月と呼ぶためで、無邪気な中にも才気煥発な会話です。
このとき主人公の薫は、この姫たちの微笑ましいやり取りを外から垣間見ていました。
そしてその場に釘付けとなります。
こんなに美しいものがこんな山里に埋もれていたなんて!
もともと薫は宇治の八宮を慕ってはいましたが、その娘のほうには
全くと言っていいほど興味がありませんでした。
僧侶のような父・八宮に育てられた姉妹など、
さぞかし陰気なものだろうと見くびっていたのです。
しかも荒涼な山里育ちでは女らしさなどないだろう、と決め込んでいました。
その期待はみごとに裏切られます。
まず彼を捉えたのは、彼女たちが奏でる楽の音。
そして都の貴女にまったく劣らぬ美々しい容姿。
会話からこぼれる知性と気品。
何よりこの女きょうだいの甘やかな雰囲気といったら、まるで昔物語のよう・・
いつまでも見ていたいプリンセス姉妹の日常がそこにあったのでした。
しかし、薫の来訪を聞きつけた姫君たちは次々に奥へひっこんでしまいます。
それもあわてふためいた様子など微塵もみせず、とても淑やかなのです
夢のような宇治の姉妹の日常。
しかし物語は、現実をも容赦なく描写します。
ここは政争に破れ、落ちぶれてしまった宮家。
姫たちの衣装は糊がおちていて、あのゆかしい“衣ずれの音”が聞こえてこないのです。
粗末な衣装に身をつつんだ大君と中の君。
この宮家では姫君に乳母さえつけられなかったとありますから、相当な貧窮ぶりでした。
そんな彼女たちが、この後日本一、二の貴公子である薫と匂宮の
最愛の人となっていくのですから驚くべきこと。
大君は薫のプロポーズをうけながら拒みつづけ、この世を去ることは以前書きました。
物語中でも、朝顔の斎院に次いで清潔なイメージで私は好きです。
とくに父宮が亡くなった後の大君は、痛々しいほど人生に誠実で健気です。
中の君も匂宮の妻として安定した地位を築いていきますが
ずっと愛らしさを損なうことがありませんね。
この姉妹は言ってみれば、がっついた所がないというか。
世間擦れしていかない清純さが貴公子のハートをつかみました。
そんな宇治の姉妹に薫は永遠に恋焦がれ、恋路をさ迷い続けます。
のちに、薫は別のやんごとない姫君、宮の御方に想いをよせます。
しかしその姫の実家が没落して逢いに行ってみると、
振る舞いに気高さを失っていて、がっかりしてしまいます。
そのとき薫は、あらためて宇治の姫君の美質を再確認するのです。
考えてみれば、源氏物語のヒロインは共通して環境に穢されない女性が多いようです。
桐壺帝が愛した桐壺更衣をはじめ、光源氏が愛した女性たちの多く、
そして薫が慕った女性たちは、権門のゴージャスなご令嬢というよりは
零落した貴族の姫であることが多いのです。
にもかかわらず彼女たちは、優雅さや他者への思いやりといった
心の品位を失うことがありません。
宇治の姉妹たちは、普段の日常をこそ美しく織りなしていました。
私は、人生というのは 長い長い織物を織りあげていくようなものではないかと思っています。
さりげない日常の一つ一つが
その織物のちいさな織り目の一つ一つ・・・
ぜひ宇治の姫たちのように ささやかなことも美しく
たいせつに織り上げていきたいな~と思っています