☆仲間になる力♪☆

 

源氏物語de女磨き

 

新学期が始まりました。

4月はあたらしい気持ちになれるから好きです。

前回 就職活動がとても楽しかったと書きましたが

それから連想して、このところ新入社員時代のことなど

OL生活をずーっと回想してしまいました。

 

初めのうちは穴があったら入りたい失態などが頭をよぎったのですが

その後、出て来る出てくる 超おもしろエピソード

笑いのツボって押されるとその後ずっと笑いつづけてしまうもので

その日は一晩中笑って夜が明けてしまったくらいです!

笑うってすごく疲れるんです ダイエットになりそう~

 

2505s-

 

考えたら、わたしのまわりって何かとヘンな人が多かったというか

いつも笑っちゃうことが巻き起こるっていうか

あれ わたしがヘンだからかな?

うちの会社 入社前はシャープなイメージがあって

誰に聞いてもあの会社は派手だよ~!って言われるし

私 うまくやっていけるかなぁって

心配で心配でしかたなかったんですよ・・・

就職難に憧れの企業に内定したというのに

一生大学生やっていた~い!と3月末まで言っていました。

でも配属2日目にして今まで生きてきた中で「一番愉快な毎日」

がやってきたのでした・・・

 

しかし、大人になったいま冷静に回想すると

わがままで未熟でどうしようもなかったですね、新人時代のわたし。

どうしてみんな私を見捨てなかったのかな?って不思議になるほど。

あまりに不思議なので、よくよく分析してみたところ

ここにたどり着きました↓↓↓

「 上司や先輩が大物だった 」

「 私は職場の人達になついていた 」

この2点に尽きます。

基本人見知りの私ですが “住めば都” になるタイプ。

同じ環境の人になつく性質があります。

考えてみてください、飼い犬だってなついているとバカ犬だって

かわいいじゃないですか?

それです。

しかし、こんな何でもないような性格が

生きる上で大事な能力かもしれないと思えてきました。

「 仲間になれること 」

「 家族になれること 」

この二つができる人はいつかはきっと幸せになれるような気がします。

なつく、というのは意図的にできることではなく

「おのずから」「自然と」湧き上がる感情です。

人為を超えたところにあるというか。

どんなに鈍感な人でも作為の馴れ馴れしさには嫌らしさを感じるものです。

仲間になるというのは世の中を信頼していないとできないことで

こうした情緒は家庭から生まれるものかもしれません。

家族って、人柄が優れているから、とか 立派だから、とかいう理由で

好きなのではありませんよね?

家族愛には理由なんかありません。

理屈ではないのです。

そういう愛情が持てるひとはそれを広げて「仲間」になれる。

仲間になった人たちとはケンカをしても仲直りできるし、

痛みや喜びを分かち合い、いざというとき一致団結できる。

意に沿わない仕事がきても、ちょっとばかり忙しくても、

だれかのために貢献できる、それが仲間の美しさではないでしょうか?

職場の人間関係がギクシャクしているというのは辛いですね。

そうした職場が増えれば増えるほど世の中は乱れてしまいそうです。

そんな状況でよい仕事はできないでしょう。

仕事というのは、1+1=2ではないのです。

仲間でつむぎ出す仕事は、1+1=10だって100だって

生み出せるかもしれない豊穣さを秘めています。

 

さて、源氏物語にこんな文章があります。

必ずしも我が思ふには適はねど、見そめつる契りばかりを

捨てがたく思ひとまる人は、ものまめやかなりと見え、

さて、保たるる女のためにも、心憎く推し量らるるなり。

一夫多妻で政略結婚の多い平安貴族たち。

必ずしも自分の希望通りの妻でなくても

その因縁を大事にして長く一緒に暮らす男性は世間からも一目置かれ

妻のほうもきっと長所がたくさんあるのだろうと他人は想像するものだ、

と紫式部は書いています。

これは夫婦だけでなく、人間関係全般にあてはまる道であるように思います。

もし末永く仲良く暮らしている夫婦がいたとして、

それだけで周囲はなんとなくその人に安心感を抱くものではないでしょうか?

常にあちこち転職ばかりしている人よりは、

腰をすえて長くお勤めしている人に高い人間性を感じることはないでしょうか?

それはカンペキな人間やカンペキな環境なんて一つもないこの世の中で

受け入れる力、許す力、忘れる力といった器を感じさせるからだと思います。

 

光源氏は幼くして母親をなくし

可愛がってくれる父は天皇という高貴な位であったため

どこか孤独で淋しい思いで生きていました。

彼が 全人格を愛した女性は、紫の上一人だったと私は思います。

紫の上は少女時代から源氏にとって かけがえのない家族でした。

源氏を信じ切っている幼い女の子の天真爛漫な姿はとても魅力的です。

若紫の巻の紫の上の輝きときたら、書物からきらきらっと

本当に光を放っているようです。

それは計算高さなど無縁の屈託のない魂が

ダイヤモンドのような多面性で輝くからで

どんな人の心も射止めてしまいそうな可愛らしさなのです。

 

さて 過去を思い出すって有意義だなーと今回強くおもいました。

大人になって振り返ると、いろいろなことを再定義できますよ。

わたしは40代になったとき、30代は20代より楽しかった♪

と確信したはずでしたが・・・・

でも20代、やっぱり最高に楽しかったです。青春でしたね

20代の楽しさは20代だったからこそ楽しいのであって、

人生はその時その時をちゃんと生きなくてはいけません。

なによりも「生きること」を大事にしていきましょう

 

 

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