須賀敦子さんは、幸田文さん、白洲正子さんと並ぶ三大女性エッセイスト。
潔さと美意識において三人は共通している。
もちろんこの共通する美質に、知識や知性を加えねばならない。
知識や知性が無くては潔さも生まれてこないのだから。
と、高樹のぶ子さんがお書きになっています。
このお三方に底流する凛々しさや細やかな美意識、
女性らしい知性がいまも私たちを魅了し続けます。
人は、自分が無知であることを知ることから成長がはじまるとすれば、
上質な随筆文学ほど読むものをぐんと引上げてくれるものはないと思います。
わたしは、今年須賀さんの本と出会ったことに運命的なものを感じます。
このお三方のなかでは比較的身近で、どこかですれ違っていたかもしれないのに
今の今まで須賀さんの本を手に取るどころか
読もうとさえ思わなかったことにちょっとあきれてしまいます。
でもこの年齢のこのタイミングで出会ったことに意味があって
私は須賀さんの人生をエッセイとともになぞりながら
今までぼんやり漠然としていた人生の摂理みたいなものが
わたしの中でだんだん輪郭をあらわし出したように感じられたのです。
そしていま、近場の山手の神奈川近代文学館で
その「須賀敦子の世界展」が開催されています。
これもちょっと運命的・・・
展示は直筆のお手紙やノート、愛用品など、見ごたえがありました。
学生からおばあちゃま世代まで、平日とは思えないほど来館者も多くて
いまなお衰えない人気がうかがえました!
お写真をたくさん拝見して、綺麗な人だなあと思いました。
心の綺麗さがにじみ出ていて、人なつっこい愛嬌がこぼれて
それでいて慎み深い奥ゆかしさもひめていて。
お人柄が香ります
彼女の本はときにページをくるのも惜しいほどみっしり重みがあって
言葉と言葉の帯から果てしなく広がっていく世界があります。
人生におこる出来事に真摯に向き合い、そのたびに自分を整えてきた人。
喜怒哀楽をしっかり味わうこと、深い思索をかさねていくことって、
真珠のように美しい・・・と感じました。
わたしの好きな白洲正子の世界とはまた違う魅力に富んでいます。
高樹のぶ子さんのおっしゃるように、潔さは知性から、とも思いました。
須賀敦子も白洲正子もともに、しっかり専門性をもち、高い見識をそなえていて、
みずからの美意識によって選びとってきたものを咀嚼し洗練させ
構成や空気感にいたるまで美事な作品世界を紡ぎだしています。
知識が浅い人の文章はどれほど言葉を飾っても
なにか安っぽい化繊のような印象になってしまうと思うんです。
須賀敦子の作品は、物語と謎をうちに秘めた 優雅で精緻なタペストリーのよう。
とびきり上等なケーキを少しずつすくって
口に運ぶように読める本の悦びといったらありません。
雑学の王などなんの役にも立たないと言いますが、
地中深く根をおろした土台ある者だけが結実させる言葉の果実たち。
なんども読み返して、じぶんにしみこませてみたい。
白洲さんや須賀さんの御本は定期的な本棚の整理でも処分できない宝物となっていくことでしょう
うちの祖母がよくこんなことを言いました。
“ 習い事をするなら一流の先生でなければ意味がない ”
これは本であっても同じだなと思います。
人は人によって磨かれる。
自分を高めるには、ステージの高い人にふれるべき・・・
でも誰もが一級の教養人と交流できるものでもないわけで
そうなったとき本は大きな役割を果たしてくれます。
すぐれた小説、随筆、つまり文学作品ほど
私たちをゆたかに高め導いてくれるものはないと思いました