咲きそめた白梅のように可憐な金澤翔子さん
ダウン症の書家として、いまではもうワールドワイドな活躍ぶりです。
はじめて翔子さんの作品を見たのは大河の平清盛のときだったかな?
そのあと「風神雷神」をみてビックリ。
宗達の屏風を書で書いたとしたら、まさにこうね!と感心していたら、
まったくの偶然で同じ構図になったと聞き、
神なるものの存在を感じてしまいました。
そして少し前のNHKのETV特集で彼女の活動を拝見してもう大ファンに。
なんて可愛いひとなんでしょう。
一挙一動がわたしのつぼ。
これはなあに?
光のような花のような。
彼女の一瞬一瞬はどうしてこんなに新しいのでしょう。
毎年、鎌倉の建長寺では彼女の個展が開かれます。
その時の作品、雪月花。
この「花」なんてごらんください。
巧まざる花の美がたなびいているわ・・・
明日で東日本大震災から5年ですが、あの日、翔子さんはテレビで
被災地の映像を見て、すぐコートをとって駆けつけようとしたんですって。
その日のうちにこの言葉をちいさな紙にお書きになったそうです。
共に生きる。
したためる彼女の頬を大粒の涙がつたっていたのだとか・・・
翔子さんはお料理もお掃除もお洗濯もできます。
で金澤家のルールとして、翔子さんがお料理をはじめたら
お母様はお台所に入らない。これは小学生のときからだそうです!
翔子さんは書家として一流なだけでなく、
お買い物もできるし、家事もできるし、昨年から一人暮らしをはじめました。
びっくりでしょう?
お母様は、「寂しくないですか?」と聞かれることもあるそうですが
「 寂しいより、自立してくれて嬉しい。
障害者の親というのはもっと切羽詰った問題です。 」
とおっしゃいました。
この親心をくみとって悲願の自立をなさった翔子さん。ご立派ですね。
翔子さんを拝見していると、お母様の聡明さが伝わります。
地道な、ながく悲しい経験をへて、今がある。
翔子さん14歳のときにお父様を亡くされ、本当にご苦労が多かったようですが、
翔子さんの美しい言葉遣い、礼儀正しさ、打たれ強い精神力、
そして前向きでチャーミングな明るさ。
書道のお稽古では柳田流の先生のきびしい指導のもと
怒鳴られても全くへこたれず、むしろますます精神が研ぎ澄まされていくのです。
ご家庭での躾と、身体を使う書道の鍛錬の賜物、そしてご本人の美質を感じました。
さいごに昨年の国連での感動スピーチをご紹介します。
お母さまへ
お母さまのお腹にいるとき、
「出たい、出たい」と足でけったのを覚えていますか。
痛かったかな?
赤ちゃんの私、産んでくれてありがとう。
お母さまが大好きなので、お母さまのところに生まれてきました。
5歳から書道を教えてくれてありがとう。
お母さまは、私にうまく書かせたいなと思って、だからうまく書けるようになりました。
お料理もお掃除もお洗濯も、見て、自分で考えて覚えました。
お母さまは、「できるかなー?」って見守ってくれました。
今は何でもできるようになりました。
得意料理は、カレーライスとハンバーグです。
もうすぐ30歳になります。
30になったら、ひとり暮らしをします。
ひとり暮らしになっても、家事をがんばります。
ひとりになっても、寂しくないです。ひとりでも大丈夫です。
お母さまも、泣かないで。
お母さまが寂しくないように、夜になったら、私は月になってお母さまを照らして
声をかけますね。
お母さまも、お仕事がんばってください。
将来はマイケル・ジャクソンと結婚したいです。
赤ちゃんを産んだら里帰りします。お母さまはおばあちゃんになります。
お母さま、大好き。愛してます。ずーっと愛してます。
ひとり暮らしになっても、一緒に書きましょうね。
そして、皆さんに元気とハッピーと感動をあげたいです。 翔子
番組を見終わったあと、夫が言いました。
「 すごく良かったよ あとお母さまって呼ばせているのがいいね 」
本当に・・
「おかあさま」と呼びかけるだけで日常の景色が変わるし、
お互い背筋がのびますね。
困難なときこそ美しい言葉を使いなさい、と聞いたことがあります。
お母様と翔子さんお元気で。
これからもたくさんの幸運が舞い降りますように