☆高嶺の花♪☆

 

源氏物語de女磨き

前回、母性の美について語りました。

よく観音さまのやさしさは、母の愛にたとえられることがあります。

たとえ火の中であっても、わが身をかえりみず助けに来てくれる存在。

しかし、式部の生きた平安時代、女性は成仏できないとされていました。

「 女人成仏は可能か? 」

これは源氏物語の主題の一つと言われています。

わたしは、ある種の女性を見かけると不思議に思うことがありました。

自分も女性であるのに女性を悪く言うタイプの女性です。

女はタチが悪いとかいうような・・・

女であるのに女を貶めることを言うなんて、

なんとなく人として信用できない気がしてしまいます。

 

わが国では千年も前に、紫式部という女流作家が

世界に先がけて長編小説を書き、女性の誇りを描きあげました。

母性の気高さについて描いた中では、藤壺がまず思い浮かぶでしょう。

光源氏の永遠の女性ですね。

 

彼女は源氏物語のなかでも、とびぬけて高貴な身分です。

先帝の内親王として登場する14歳の少女は、

初登場から ゆかしいお姉さま的存在。

天皇の娘、しかも后腹ということですから、これ以上ない身分です。

桐壺帝の妃として入内してきても、さすがにあの弘徽殿女御だって

やすやす意地悪もできません。

最上の生まれゆえに 藤壺という女性は、

コンプレックスであるとか媚とか嫉妬とか派手な浪費などといったことと、

生涯無縁の気品が漂っています。

 

高貴な上に この姫宮ときたら容姿端麗の才色兼備で

女らしいやわらかい性格の持ち主。

また このひとは何をするにもセンスがいいんです。

それで面ざしは亡き母・桐壺の更衣に瓜二つ・・・・・

と聞けばマザコン光源氏が惹かれないはずはありません。

 

2503s-

 

光源氏の恋愛の根底にはたいていこの「母恋」があります。

源氏と藤壺の密通がどんなものだったのかは詳しく書かれず

作家はそれを匂わせる手法を使っています。

物語が語る藤壺は、源氏に対してたいてい冷淡です。

それがいよいよ憧れをつのらせ、光源氏はちょっとストーカー気味になっていきますね。

比類なき高貴な藤 藤壺の宮・・・・・

彼女に比べたら源氏はただの駄々っ子のようです。

 

源氏との子、のちに冷泉帝となる皇子が生まれると

ますます藤壺は源氏を遠ざけます。

皇子、東宮の身を守るために。

おかしな噂でも立ってわが子の身に危険が及ぶようなことがあってはならないのです。

一方、東宮の実の父である源氏の君といえば、ただただわが想いを

遂げたい気持ちばかりが先行します。

東宮を可愛く感じながらも、「わが子」よりも「わが恋心」といったところ。

こんな状態では危険・・・・・・

覚悟を決めた藤壺は、ある日突然誰にも相談することなく きっぱりと髪をおろします。

出家です。

生きながら死ぬこと。

若く美しい身でありながら、この世の栄華を謳歌できる中宮でありながら、

女であることを永遠に断ったのです。

 

この態度は神々しいほどの母の強さを見せつけます。

さすがの源氏も尼僧となった女性には手を出すことはできませんでした。

藤壺の出家は東宮と同時に、源氏の身をも守ったのです。

 

瀬戸内寂聴さんが、源氏物語のヒロインたちは出家すると

「心の丈がすっと高くなる」 とおっしゃっています。

「心の丈」って、現代ではあまり使いませんがとてもステキな言葉だと思います。

 

そう、源氏のヒロインというのはたいてい心の丈が高いですね。

いつの時代も、女性は恋愛で吹っ切るとびくとも動かないところがありますが、

光源氏にしても薫の君にしても、男主人公のほうはどういうわけか往生際が悪く

出家するまでにうじうじするようなところがあり、

潔さでは女たちにまったく叶いません。

 

紫の上が晩年、「男のいらない境地」に至ります。

けれども紫の上の出家を源氏は死ぬまで許しませんでした。

男主人公たちは最後まで恋愛をふり切ることができないのです。

恋愛依存の人というのは精神的に自立していないのだと

ある脳学者の先生がお書きになっていたけれど、そうしたことなのでしょうか。

 

女は成仏できないとされていた平安時代、

実際に異性や俗世を潔く捨てられたのはむしろ女性のほうでした。

あの色っぽく浮気な朧月夜でさえ、出家の際の様子はすがすがしいものがあります。

宮仕えでジトーっと人のやることを観察して生きてきた紫式部、

さすがに人間というものを見抜いているなぁという感じです。

 

さて、一般的に男性は結婚相手に家庭的なひとを望む傾向にあるそうです。

安らげるひと。愛らしいひと。

こう書いてみると、なんとなくか弱い女の子をイメージしますが、

実生活において末永く安らぎを与えてくれる女性というのは

実際 心の丈が高くなくてはとうてい無理ではないでしょうか。

ささいなことで気分が浮きしずんだりするようでは一緒にいる人は疲れてしまいます。

心底やさしく柔らかな女性は、じつは心根がとても強いのだ・・・

そう藤壺の宮の生きざまが証明しているようです。

 

目を実際の歴史へと転じてみれば、当時の宮廷においても、

名だたる皇后は、自己を超越した魂の持ち主であることが多いです。

紫式部が仕えた中宮彰子などは清少納言が仕えた定子ほど評判が高くありませんが

“公の意識”という国母らしさは、定子以上だったのではないかと私は感じています。

栄華に溺れず、しかし活き金は使い、学問を怠らず、天皇に寄り添い、

民を想い、父藤原道長よりも公平で高い視点から世の中をみていた気がします。

彰子の愛読書は、この『源氏物語』でした。

その中のヒロイン・藤壺女院の生き方などがもし彼女の人生の参考になっていたとしたら、

文学 小説のもつ力というのはとてもすばらしいなと思うのです