いまはむかし
北国のうつくしい森の中の 三角お屋根のかわいい家に
ひとりのおばあさんが暮らしていました。
おばあさんのところにはあちこちからお客さんがやってくるのですが、
多くの人は、心や体がへとへとに疲れていました。
おばあさんはそんな人たちのために心をこめてごはんを作りました。
不思議なことに、このおばあさんに逢ってその手料理を食べると
疲れた心と体はすっかり癒されて、
みんな元気になって帰っていくのでした。
これはおとぎ話ではなくて、実際にあったお話です。
森のイスキア
日本のマザー・テレサとよばれた佐藤初女さんは青森県弘前の「森のイスキア」で
長年、多くの悩める人、病んだ人を癒してきました。
初女さんはことし天国へ旅立ってしまいましたが
先日テレビの再放送で活動を拝見できる機会がありました。
ひっそりとのどかな初女さんの暮らし。
四季折々の自然がきらめく森の中。
時おり神々しい鐘の音が鳴りわたる、とんがり屋根のお家のキッチンで
丁寧に丁寧にお料理する初女おばあさんの姿は、まるで昔話の一場面のよう。
森のイスキアの宿泊者である、ある女性のことばです。
「 イスキアで食べる食事は、いつも丁寧に心をこめて作って
くださっていて、本当においしいです。
人は食卓で食べものだけでなく、人との関わりも食べているのですね。」
ひとりで外食すると味気ない気がする・・・と
感じる方もいらっしゃるでしょうか。
食事って、その場の空気や心の通い合いも、
おかずになっているんだなぁと思います。
初女さんの調理する姿を拝見して驚くのは
食材にゆっくりやさしく包丁を入れること。
じゃがいもの皮をむくとき、皆さんはなにを思いますか?
初女さんは
「 じゃがいもだって、声に出さないけど痛いのよ 」
とおっしゃいます。
だから痛くないように・・と、考えながら包丁をいれるのです。
以前、料理家の辰巳芳子先生が、
「 食材というのは無私なのよ 」
「 無心のものと一体になって仕事をする、
その本当のふかい意味とは何か・・? 」
とおっしゃったのを聞いたとき、わたしはとても大きな衝撃を受けました。
食材というのは無私!
そんなこと考えたこともありませんでした。
それから毎日365日のお料理。
食材へのまなざし・・・
食べてくれる人への想い・・・
魂をいれかえてお台所に向うと、
生きる上でとても大事なことが少しずつ少しずつ見えてきた気がしました。
世界広しといえど、日本ほど料理に高い価値を
置いてきた国はあまりないかもしれませんね。
禅寺では、調理は宗教儀礼と同様に尊い位置を占めています。
それは調理にまつわる一連の仕事が、偉大な人間修養となるからです。
まな板の上にのったお肉やお魚、お野菜。
どうやって育ったのか。
どうやって運ばれてきたのか。
食材はなにを思っているのか。
その食材の「いのち」が、やがて体内に入って、
私たちの「いのち」となります。
初女さんを訪れた人のなかには、自分にも実家ができた!と
感じる人が多いそうです。
あたたかみを忘れてしまった食卓が、現代はどれだけ多いことでしょうか。
病める人を癒したのは目にはみえないもの。
言葉にはならないものでした。
いのちをいただき、
お料理させていただく。
そして食べることは、「いのちのうつしかえ」。
ほんとうに みんなで愉しみながらごはんをいただきたいですね